ブログ再開

2011年12月31日 こころ
ここを再開するのは1年半ぶりだ。
ここに来るときはたいてい心が病んで、苦しさを吐き出すのが目的になってる。
だからここには重たい鎧を脱いで丸裸になった無防備な自分が居る。


改めて日記を読み返したけど、当時の苦しさがリアルによみがえってきて、とても苦い思いをした。

案の定、精神的に乱れた。

でも今の私は前より少し大人になったようだ。

苦しさを過食、リスカ、OD、自殺、という手段以外で表現できるようになった。

このことは大きな進歩だ。

この日記を書いてた頃の私はそれが出来なくて苦しみもがいていたから。

当時、親交のあった仲間達は今どうしているんだろう・・・。

日記が更新されてる人は少ない。

ここを無事に卒業できたんだろうか。

私の現在は摂食、不眠、気分障害といったところ。幸い自殺企図は出ていない。

ただこの1年半で大きな変化があった。

そう、結婚、妊娠、出産だ。

言葉にして並べると、幸せを想像できても良いはずなのに、私は新たな苦しみを抱えることになった。


今の私の苦しみ・・・・それは母性欠陥、ネグレクト。

私は自分の子供を心から愛せない。



私は子供の頃から母親の愛情をまともに受けた記憶がない。

私の母は自分の娘を抱きしめることの出来ない母親だったと後々父から聞かされた。

私の家庭にはお袋の味といったものがない。
母はいつもスーパーで買ってきたお総菜をお皿に並べることもしないで、パックのまま当たり前のようにテーブルに並べて、それが我が家の食事風景だった。

子供の参観日、家庭訪問、三者面談、その他諸々の行事にはいつも父が対応していた。

当時の私は疑問など抱かなかったが、今になって思うと、とても不自然な光景だったのかも知れない。

母と一緒に料理した記憶も、買い物に出かけた記憶も、いや、もっともっと細かく言えば、手をつないだ記憶、抱きしめられた記憶、もっと言うならば、母が笑ってる記憶がない。

母はいつも機嫌が悪かった。

夕飯時にはいつも夫婦喧嘩が絶えなくて、いつもその度に家出していた。

喧嘩の原因は子供の私にはよく理解の出来ないものだったが、気分の良い物ではなかった。

母は父と結婚したことをとても後悔していた。

娘を3人授かったこともとても重荷になっていたらしい。

子供を可愛がらない、正確には可愛がれない母親となった原因はそこにあったのかもしれない。

そんな母親でも私は母が大好きだった。

いつも母の愛情を独占しようと必死だったのを覚えている。

その努力は病気になった後も長く続いた。

医者には病気の原因である母を見切ることが治療につながると散々言われたが、私は母を見切れずに苦しんだ。

母に愛されたい。ありのままの私を抱きしめて欲しい。

いつもそう願ってた。

でも母は病気で人格崩壊した私を拒絶した。

「お願いだからあなたのお母さんをやめさせてちょうだい」
「これ以上お母さんを苦しめないで」

私は目の前が真っ暗になった。
愛する人に拒絶される悲しみを初めて知った瞬間だった。

それ以来、母への愛情は憎しみに変わり、私の病状はますます悪化することとなった。

母がもっと悲しめばいい。この苦しみを味わって欲しい。

その思いだけでひたすら手を切った。

でも心痛めるのは母ではなく優しい父の方だった。

私は母への憎しみと、父への罪悪感で二重に苦しんだ。

もう這い出せない底なし沼におぼれる日々を送り続けた。




そんな私も母親になる日が訪れた。

6年間、生理が止まっていた私は自然妊娠は難しいだろうと諦めていたから、さぞがし嬉しいものだと思っていたが、実際はそうでもなかった。

産むつもりではあったけど、妊娠中に精神状態が悪化し、妊娠を維持するのがとても難しい状況に陥った。

催奇形性の不安から、安定剤、抗うつ剤を激減したため、抑鬱状態になり、自殺企図も再発した。

医者は母体を優先すべきといい、子供を諦める選択肢もあると言った。

私は迷わず産むことを選択した。

理由は母性によるものではない。自己中心的な考えからだ。

子供を産んだら、その子の為に、これからの一生を普通に、あたりまえに生きられるかも知れないと思ったからだ。

私にとって生きることは普通ではない。

あたりまえに生きることの出来ない私は、生きる理由を捜してた。

それを我が子にしようと・・・。思った。


妊娠後期になると、私の摂食障害のせいで、赤ちゃんが成長せず、入院を余儀なくされた。

それでも無事に、薬の後遺症もなく生まれてきたことは奇跡と呼んでも良いかもしれない。

そんな奇跡もすぐに悲しい現実に埋もれた。

出産後3日で私は我が子を愛せない自分と向き合うことになった。

母のような母親にはなりたくない。
子供が出来たら精一杯の愛情を注いで、思いっきり抱きしめてあげよう。
娘ならば、一緒に料理をし、洋服選びを一緒に楽しみ、恋の相談にも乗ってあげたい、一番の理解者でいてあげよう。

そう思っていたのに、私は母と同じ母性の欠落した母親になった。

現在、娘は4ヵ月。

今日までに娘が居なければいいのにと何度思ったことだろう。

私も最低な母親だ。

娘が泣いていても何も感じない。胸を締め付けられるような思いはない。

ミルクもおむつも作業としてやるだけ。

そこに愛情はない。

人前では普通に母親を演じきれるから、両親も旦那さんもそんな私に気づくことはない。

私は娘と2人きりでいる時に、自分の世界に没頭し、娘に無関心でいる。

出掛けたくなれば娘をひとり家に残し、買い物に出掛ける。

過食嘔吐をしてる最中に娘が泣いても全然かまわない。

娘に手を挙げたことはないが、叩けるほどの愛情もないのかも知れない。



私には母性が欠落しているのかと、私なりに悩んだりもした。

保健センターに出向き、保健師さんに相談を持ちかけた。

でも、結局、人前では完璧な母親を演じてしまう。結果、伝わらない。

今、私の心の闇は広がりつつある。

mixiで同じような悩みを持つ母親は意外に多い。

皆に共通していることは、やはり長らく精神を病んでいる。

ボーダーライン、リストカッター、OD、摂食障害、躁鬱、が定番と言ったところだろうか。

皆、自分が生きるので精一杯なんだ。

なのに母親になった瞬間から、周りから一個人ではなく、母親としてのアイデンティティーを求められる。

それに終わりはない。

それが耐え難い現実なんだ。

将来、娘が大きくなったときに、きっと私と同じ思いを抱くだろう。

こんな母親には絶対ならないと。

しかし希望に反して、また私のような母親が生まれることになるんだろうか。

子供が親を選べないのはとても不幸なことだ。

心も体も健康でいられることはとても幸せなことなのに、世の母親たちは子供に色々を期待しすぎるように思える。

私は子供には何も望まない。

もっともそこまで関心がないと言うことなのかも知れないが、人生は素晴らしいなんて教え説くつもりもないし、好きに生きたらいいと思う。

私の両親が私が自殺を図ったときに、最大の親不孝だとののしったが、私は娘が自殺を図っても、親不孝とは思わない。

娘の人生は娘のもの。

そこに親の関与はいらない。

その方が娘のためになると思っている。





明日から旦那さんの実家の大阪に帰省する。

そこでまた私は完璧な母親を演じきるんだろうか。

別人格の自分が何人も居るようでとても気持ちが悪い。

本当の私はどの私なのか。

わからない。

ダイアリーノート内の私はどの私なんだろう。



今年もそろそろ終わりを告げる。

そして運命の1月9日がやってくる。

何事もなく過ぎてくれることを強く願っている。


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