21日の日記:

今日は姉が居ることもあって一日心は不安定だった。そんな中夏物を買いにショッピングに出かけた。何着か試着する中、鏡を見て唖然とした。服からのぞく足と腕の細さに異様さを覚えた。こんなに細かったっけ・・・まるで骸骨標本みたいで気持ち悪い(>_<)服も結局サイズが大きくて子供サイズを選ばざるを得なくてなんだか惨めな気分になった。これからの季節肌の露出が増える分体のラインが目立ってしまうから憂鬱だ。痩せてきれいになるために始めたダイエットだったのに結果がこれじゃ元も子もない。今じゃサイズ選びに苦労して必至で体のラインを隠さなきゃならないなんて・・・。もっと健康的な体になりたい。太りたい。そう思うのになんで太れないの?ガリガリに痩せて手に入れたものって何?今より太ったからって失うものなんて無いはずなのに何を恐れて太れないでいるんだろう。今のボディーラインには決して満足していない。どう見ても痩せすぎで気持ち悪い。自分でわかってるのにどうして太るのが怖いんだろう。太りたいのに太りたくないなんてどんな心理?なんか摂食障害と似てるかも。病気を治したい気持ちと治りたくない気持ちがある。これは説明がつく。病気は辛いから治したいけど病気でいることで許されてるというか逃げれてる部分があるから病気を手放したくないみたいな。私の歪んだボディーラインはいったいいつ修正されるのだろう。痩せてることに安心感を覚えてるうちは駄目かもしれない。でも前よりはるかにましになった。前はガリガリの体に異様さどころか優越感を覚えてた。浮き出た骨にうっとりしてつまめる肉は全部そぎ落としてしまいたいと思った。骨と皮だけの体になりたいと願ってた頃は完全に病気だったな・・・。その頃よりは感覚もまともになったはず。段々修正されてきてはいるんだろうけど実際太れるかは別問題。今より太った体を受け入れられるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。いったん受け入れてしまえば楽なんだろうけど。今はとりあえず痩せすぎの体を異様と思えるようになっただけ良しとしよう。

姉の存在

2006年5月20日 日常
20日の日記:

姉が帰省してるせいで昨日から気持ちが揺らいでいる。一つ屋根の下に居ながら顔を合わすことも会話することも無い不自然な関係。実際会ったら気まずくて仕方ないのだけれど・・・。姉二人は仲が良いから今日も日中一緒に買い物に出かけたみたい。その輪の中に入れなくてなんだかちょっと疎外感を感じた。姉のことはあまり意識しないようにと思っているのだけどやっぱり存在は気になる。今までは姉が帰省するときはいつも千葉のマンションに逃げてたけど今後はそれも出来なくなる。姉の旦那さんが一緒の時は最悪だ。結婚して以来まだ一度も顔を合わせたことが無い。一度ちゃんと挨拶しなくちゃとは思ってるけど摂食障害や自殺未遂のことがあるから気軽にとは行かない。こういうことを考えてると色々わずらわしくて嫌になる(´Д`)姉と会話できない原因のひとつにもなっている。姉はどう思ってるんだろう・・・。親はいつもどおりにしてればいいって言うけどそんな簡単なことじゃない。だから毎回姉が帰省する盆と正月、その他の行事のたびに心は不安定になる。同じ家族なのに悲しいことだ。こう言っては何だけど早く徳島に帰って欲しい・・・。これが私の本音だ。心がどうにもざわついて仕方ないからワイパックスを久々に飲んでみた。これで少しは気持ちも落ち着くかな?あれこれ考え出すと不安定になるから今日は早く寝てしまおう。

再び渋谷へ

2006年5月19日 日常
19日の日記:

通学の練習のため今日再び渋谷へ行ってきた。前回より2本速い電車で行ったから少し空いていて赤羽まで座ることが出来た。座れるとかなり楽だ(´ー`)渋谷は相変わらずの人ごみ。人にぶつからないように歩くのが大変だった。歩道橋の上り下りもかなりキツイ。足腰を鍛える必要もありそうだ。通っている間に筋力がつけばいいのだけど・・・。家でスクワットでもやろうかな?とんぼ返りでお昼前に帰宅。お昼は久々に母と外食した。寒かったから鍋焼きうどんを食べた。最近はなんだか食欲旺盛で帰りにコンビニをはしごしちゃった(>_<)そのままカショオモードへ。カショオを1時間ちょっとで切り上げて疲れたからお昼寝することに。
今日は徳島の姉が久々に実家に帰ってくる。会話をほとんどしない関係になってもう長いけど毎回気まずい思いをする。食事も姉とは一緒にとらないから姉が帰ってきた時の食事は家族はみんなで食べてるのに自分だけひとりっていう感じが強まって結構寂しい・・・。寂しさを感じるとカショオも悪化する。いつかまたみんなで食事を取れる日は来るんだろうか?みんなで食卓を囲む感覚なんてもう忘れちゃったな。

渋谷へ

2006年5月16日 日常
16日の日記:

今日は実際の予備校の時間に合わせて朝早くの電車に乗って渋谷の予備校を見学しに出かけた。電車は予想以上に混み合っていて渋谷までは座れなかった。渋谷までだいたい1時間半くらい。座れないと結構きつい距離だ。駅から予備校までは徒歩10分。歩道橋を上り下りしてかなり歩かなければならないので大変だった。思いのほか体力を消耗してしまい足もパンパンに張って帰りはクタクタになって帰ってきた。これが週五日続くとなるとかなりハードだ。通うだけでも大変なのに80分×4コマの授業があるわけだから体力がないと100%続けるのは無理。これは思った以上に大変(>_<)体力なんてすぐつくもんじゃないし、冗談抜きで週3日通えればいいほうかも。目の前の難問にかなり撃沈の1日だった。

又もや過食

2006年5月16日 摂食障害
16日の日記:

昨日の夜またもやカショオしてしまった(´Д`)昨日の夜はそれほど強い過食衝動が来た訳じゃなかったのになんとなく暇という理由で無駄に過食してしまった。最近の良くない傾向として暇つぶしにカショオしてしまうこと。お腹空いて食べるならまだしもなんとなく暇で他にすること無くて食べてしまうという最悪のパターン。体にも負担かかるしこういう無駄な過食は出来るだけ避けたいものだ。今までカショオに使ってきた時間が空くのはけっこうしんどい。他にすることがない分何で埋めたら良いか悩んでしまう。もっと充実した毎日だったらやりたいことで埋まるんだろうけど今は何も無くて難しい。生活スタイルをもっと充実したものに変えられたらいいのに・・・。
15日の日記:

今日は事務のお手伝いの日だった。仕事はいつもよりスムーズに進められた気がする。事務のお手伝いでは3時になるといつもティータイムがある。そこでコーヒーと一緒に甘いお菓子が出されるのだけど今では抵抗なく頂けるようになった。以前の私ならきっとコーヒーに入っている砂糖のカロリーとミルクのカロリーを気にして飲めなかっただろうし、甘いお菓子も手を付けないか食べても吐きたいって思ったと思う。でも今ではカロリーを気にせずおいしく頂ける様になった。ちょっとした進歩が嬉しい。パン屋さんの試食もそのうちのひとつ。よく行くパン屋さんでは夕方になると色々なパンの試食が出来るのだけれど、今では4〜5種類のパンを3口4口くらいパクパク食べれるようになった。以前なら一口でも食べるのが怖かったのに今では抵抗がなくなった。こういった小さな変化の積み重ねが大きな進歩につながる気がする(´ー`)こうやって吐かずに消化できるものが増えてけばそのうち普通の食事も取れるようになるんじゃないかな☆予備校が始まったらお昼だけはきちんと吐かずに取ろうと決めている。なんと言っても体力勝負だし、今は痩せることより毎日を健康に過ごすことのほうが大事って思えるから。今後の目標は1日1回だけでも吐かずにきちんとした食事を取れるようになること。そしていまより体重を落とさないように気をつけること。少しずつでもステップアップできたらいいな。

過食衝動

2006年5月14日 摂食障害
14日の日記:

今日は夕飯の後、お風呂に入って夜テレビを見てる途中に急に過食衝動がやってきて夜中にカショオしてしまった。ここしばらくは食欲もなくカショオの時間も1時間に短縮していたのに急に過食したくなったのはなんでだろう・・・。何か特別嫌なことがあったわけじゃないけどもしかしたら拒食の反動が来たのかな?いつも拒食の後には強い過食衝動が来るから。そういえば朝食を抜くようになってから体重が1キロ減ってしまった。これ以上痩せたくないから少し食べる量を増やそうと思う。朝食も体重が戻るまでまた取るようにしないとな。体重を維持するのって難しい。

心配事

2006年5月12日 日常
12日の日記:

この3日間も心は安定して過ごせている。夕方落ち込む事もなくなった。眠剤を変えてから早朝覚醒もなくなってぐっすり眠れるようになったのは嬉しい。ただ今日は夜になって不安発作が起きた。原因は予備校のことを考えて色々不安になったせい。毎日電車に乗って通えるのか、授業についていけるか、友達は出来るか、お昼を予備校で吐かずにちゃんと取れるか、など考え出したらきりが無いけど心配事が尽きないのだ。新しい世界が広がる期待も大きいけどその分不安も多い。日が近づくにつれて現実味が増してきて少し臆病になってるのかも知れない。いざ走り出してしまえば不安も吹っ飛んでくれそうだけどスタートするまでが期待と不安の間で揺れ動いてなんとも苦しい感じ。早く始まってしまえばいいのに(´Д`)

安定した日々

2006年5月10日 日常
10日の日記:

昨日今日とこの二日間も安定した日々が送れている。国試の勉強も順調に進められている。ただ最近ちょっと気になるのが朝4時半に必ず目が覚めてしまうこと。そしてそれから寝付けなくなってしまうこと。寝る時間を遅くしても同じ時間に目が覚めてしまう。出来ればもう少し長く寝ていたい(´Д`)眠剤に慣れてしまったんだろうか・・・。ちょっと心配。

久々の落ち込み

2006年5月8日 日常
8日の日記:

ここ数日は心も安定していて穏やかに過ごせていた。カショオも夕飯時の1回のみになって気持ち的にすごく楽になった。朝食に何もとらないとさすがに低血糖がひどいので果物と野菜をゆでたものだけはとるようにしている。
国試の勉強も少しずつだけど順調に進められている。6月からの予備校通いが目標になってからやる気が増したかな?あとこのところ安定してるのはアンプリットを増やした効果かも知れない。

今日は事務のお手伝いの日だった。でもその最中、気持ちがぐっと落ち込んでしまった。原因はわからないけど久々の落ち込みにかなり動揺・・・。ワイパックスを服用してしばらくして心のざわつきは治まったけどこのところずっと気持ちが安定してたぶん今日の落ち込みはショックだった(´Д`)
でも薬を飲むと心がスッと軽くなるというか心が安らぐのをすごく感じる。お薬にはほんともう感謝×感謝

一大決心

2006年5月5日 日常
5日の日記:

今日は朝食をとらなかった。夕方にはかなりの空腹感を覚えてフラフラだったけど夕食まで我慢した。憂鬱な食事と嘔吐をしないで済んだのが嬉しくて気分は良かった(´∀`)今日は気分も安定して今までカショオしてた時間が空いたから昼間から国試の勉強をすることにした。
それと今日は一大決心をして6月からの予備校通いに申し込みをした。体力面でも精神面でも心配は尽きないけど思い切ってトライすることに。やっぱり薬剤師になりたいし・・・。3年のブランクがあるぶん今のうちに少しでも勉強を進めとこうと思う。ひとつの大きな目標が出来たことは良いことだ(゜∀゜)予備校に通えば新たな人間関係が築けるし、国家試験という目標に向かって日々努力を続ける生活は今の何も無い私にとっては大きなプラスになると思う。いざ走り出すまでは不安だらけだけど軌道に乗ってしまえば後は頑張るのみ。6月の開講が待ち遠しい(゜∀゜)
4日の日記:

ここ最近ずっと食欲がない。それに食事が憂鬱でたまらない。カショオの時間も1時間ちょっとに短縮している。だから思い切って明日から朝食をとるのをやめようと思う。これで食事は夕飯時のカショオのみとなる。食事の回数を減らしてこれ以上体重が落ちないか心配だけど今は食べたくない気持ちのほうが強い。
でも食欲がなくて食事をしないのは摂食障害において過食の改善ととるべきなんだろうか?それとも拒食の悪化ととるべきなんだろうか?
今よりもっと痩せたいという気持ちは無いけど太るのは怖い。でも今の体重が少なすぎるのはわかってる。だからもっと増やさなきゃって思うのにこれがなかなかできない。なんでだろう・・・。いつもこのジレンマに悩まされるな。今の体重がベストとは思ってないけど今一番納得できる形は現状維持ってことかな。しばらくは夕飯のみの生活を送ろうと思う。
今日は気持ちも安定していたので国試の勉強を少し進めることが出来た。

拒食の波

2006年5月1日 摂食障害
1日の日記:

今日は朝起きた時から食欲がなく食事をとるのが憂鬱でたまらなかった。前にも同じような事があったけど拒食の波が来たみたい(´Д`)
とにかく食事が嫌。食べるのも吐くのもウンザリって思う。食べ物のことを考えただけで気分が悪くなる。というか憂鬱になる。過食も辛いけど拒食は慣れてない分もっと辛い。食欲がないことに困惑しちゃうというか・・・。
過食衝動が無いのは良いことのはずなのに過食しない自分に戸惑ってしまう。それだけカショオが習慣化しちゃってるということなのかなぁ?実家に居ると親の目があるから拒食は許されず結局はカショオすることになるけど拒食の波が来てる時の食事ほど辛いものは無い。

夕飯の時もやっぱり食べるのが嫌だったけど無理してカショオ。かなり憂鬱だった。
これなら過食衝動に悩んでる方がよっぽど楽。
でも考えようによってはカショオをやめるきっかけになる気も。
でも一歩間違えると拒食のループにはまりそうで怖い。
はぁ普通に食事が出来たらどんなにいいか・・・あと一歩の勇気が足りないんだよね。もうちょっとの気がするけど。
明日は普通に食欲戻ってるといいな・・・。

平穏な日々

2006年4月29日 日常
29日の日記:

診察日から今日までの3日間は割と安定した日々が送れてた(´∀`*)
次の診察まで2週間空くのは正直かなり不安だけどとりあえず今のところ問題なし。夕方の落ち込みもなく夜も良く眠れてる。ただ毎朝5時半に目が覚めるようになっちゃったのは困りものだけど・・・。

今日からゴールデンウィークが始まったけど特に出かける予定もないし毎日何して過ごそうか悩むところ(´・ω・`)
暇なのは嫌だけど気持ちが安定してくれてるととても助かる。
今日はまた国試の勉強を進めようと思う。

診察日

2006年4月26日 病院
26日の日記:

今日は診察日だった。
日記を書くようになってから気持ちの整理ができて診察が受けやすくなった。感じたことを文章にするのは確かにエネルギーがいるのだけれど口頭だとどうしても何から話したらよいかわからなくて伝えたい事がうまく伝えられないから文章にして伝えるのは私にとって良いみたい。
診察の後、次回の診察日が祭日のため2週間空いてしまうことを思うと不安でたまらなくなりワイパックスを服用。
アンプリットを増やしたけれど効果はまだ感じられない。
1ヶ月前のバイトを始めた頃のような元気がまた欲しいな・・・。

急患で

2006年4月25日 こころ
25日の日記:

昨日は事務のお手伝いの日だった。
16時終了後、母と夕飯の買い物へ。その途中、16時半頃気持ちが不安定になり希死念慮も強く出てきたためワイパックスを服用。
しばらくして気持ちも落ち着いたので買い物を済ませ帰宅。

しかし23時頃、再び気持ちが不安定になり希死念慮も強いため再度ワイパックスを服用。
しばらく様子を見たものの不安が治まらず死にたくて死にたくてどうしようもなくなり急患で病院へ。

深夜1時、診察→コントミンとフルニトラゼパム服用。

その後、翌日の昼12時過ぎまで爆睡。
いったん起きるも眠気が取れず14時半から18時半まで再度、爆睡。

現在22時、まだ眠気が残っていてとにかくだるい。初めて飲んだ薬だったけど効き目がすごい(>_

学習能力の低下

2006年4月23日 日常
23日の日記:

今日は一日を通じて心は割と安定していた。
夕方になっても例の寂しさを感じることも無かったし。

寝る前に心も安定していることだし国試の勉強を再開しようと思って薬理学に取り組んだけどなんだか集中力に欠けて頭に入らなかった。

1ヶ月前まではあんなに順調に進められてきた国試の勉強なのに今じゃ全然駄目だ・・・悲しい。
この先どうなるんだろう。こんなんで来春ほんとに試験受けられるのかな・・・

カショオに関しては最近は時間も短縮傾向で2時間前後に治まってる。
気になるのはやっぱ鬱だな・・・無気力と精神不安が続いてるし、このところ早朝覚醒が多い。
眠りは精神状態を計る物差しみたいなもの。心の不調が続く限りは快眠は得られないんだろうな(♯´Д`)

寂しさの理由

2006年4月22日 こころ
22日の日記:

今日も特に何もせずいつも通りの1日だった。
夕方の寂しさも相変わらずで、今日はその原因について考えてみた。

家族が常にそばに居るのにひとりぼっちで寂しいと感じるのは何故だろう・・・ふと思ったこと。他人とのつながりが一切無いことに原因があるんじゃないかと。

普通は会社だったり、学校だったり、地域社会つまりコミュニティに属してみんな生きてる。
そこには必ず他人とのつながりがあって、さまざまな人間関係が生じる。人間関係はわずらわしいことも多いけど他人とつながりを持つって事は自分の顔を知っててくれる人、その名前を呼んでくれる人、自分がいなくなると困ってくれる人がいるって事で、それはそのコミュニティの一員であることの証明にもなってる。

でも今の私にはそれが無い。家族以外、属するコミュニティを持ってないのだ。
昔は捨てたいほどあった。まず学校ではクラスがあって、その中には実習班があり、研究室でも研究ごとに班があり、その他サークル、バイト、ボランティア、その他諸々とにかくたくさんのコミュニティに属していた。

でも今はどうだろう。街ですれ違う人、コンビニの店員さん、ファミレスのウエイトレスさん、宅配便のお兄さん、そんなのばかりだ。
彼らは私の顔も名前も知らないし、知る必要も無い。だからそこには人間関係が生じないし、当然コミュニティに属するとは言わない。故に他人との継続的なつながりが生まれないのだ。
最初は気楽で良かったと思う。わずらわしい人間関係に悩むこともなくなって、その場限りの関係はストレスも感じないし、何かの責任も生じない、嫌なら無理にそこにいる必要はないし、それで困る人もいない。

でも3年もそんな生活を続けてきて今はそれを寂しいと感じる。

自分を知っててくれる人がいないということがこれ程までに寂しいことだとは。
人は一人では生きてゆけない・・・ってほんとにその通りだ。
みんな何かのコミュニティに属してるからこそ生きてゆけるんだ。人間ってそういうもの。

でも今の私にあるのは家族だけ。友達は数人いるけど彼らとはコミュニティを共有していないから、彼らと築く人間関係は顔と名前を知ってる点を除いたら近所のコンビニの店員さんと何ら変わりがなくなってしまう。
病院の診察も人間関係とは呼べないし、他に何も無い私は何のコミュニティにも属していないひとりぼっちの人間ってことだ。

だから寂しい。
家族以外、自分を知っててくれる誰かがいない、自分の名前を呼んでくれる誰かがいない、自分がいなくなったら困ってくれる誰かがいない、それが途轍もなく寂しいのだ。

だからバイトをしようと思ったのかもしれない。
小さくても何かのコミュニティに属したい。その一員になりたい。そしてそこで存在し、名前を呼ばれ、必要とされ、自分がいないと困る人が居る、そんなコミュニティがとにかく欲しかったんだ。
要するに他人とのつながりに飢えているんだと思う。
それに他人とつながりを持たないことが希死念慮につながってる部分もあると思う。

自分が死んで悲しんでくれる人はいると思う。でも困る人は居ない。
それってとても寂しいことだ。
みんな死にたいと思った時にいろんなことが脳裏を過ぎると思う。家族に友人、恋人、仕事の同僚に、飼ってるペットまで、そして受け持ってる仕事のこと、それに関わる人たちのこと、責任、その後の影響力・・・などとにかくたくさんのことが頭を過ぎってそれが足枷になるからこそ自殺を思いとどまれるんだと思う。

でも私にはそのアイテムが少なすぎる。せいぜい頭を過ぎるのは家族と数人の友達、先生くらいなもんだ。
母がよく言う。「私だって死にたいって思うことはあるけれど、自分が背負ってるものを考えたら死ねないんだよ」って。
確かにみんなは背負ってるものがたくさんあるから、自分が死んだ時に周りに与える影響力を考えると死ねないもんなのかも知れない。けど私には背負ってると言うほどのものも無いし、自分が死んだ時に与える影響力なんてたいしたことないと思うから、どうしてもそこで思いとどまることが出来なくて死ぬことが身近になってしまうんじゃないかな。

生きていくうえでコミュニティに属し、継続的に他人とつながりを持つってとても大切なこと・・・でないと人間でなくなってしまう。と今さらながら痛感。

今の私に足りないもの。居場所という意味でのコミュニティと継続的な他人とのつながりだ。
これらを手に入れたら住む世界が広がって価値観も変わり今の私とはまったく違う自分に会えそうな気がする。いや、会うべきだしそうなることが病気を治すことにつながる気がする。

小さくてもいい、どこかコミュニティに属し、自分の居場所を作って、他人と継続的な人間関係を築くことが、ひとりぼっちの寂しさや希死念慮を減らしてくれるような気がしてならない。
21日の日記:

今日は特に予定もなく夕方4時頃いつもどおり母と夕飯の買い物へ出た。
その帰り道、5時半頃だったと思う。気持ちの落ち込みがやってきた。でもいつも感じる孤独感より今日のは悲しみの方が強かったと思う。なんで私まだ生きてるんだろう・・・無性に死にたくなった。とにかく今生きている現状を認めたくなかった。ほんとはあの時死んでたはずなのに。なんで今こんなに辛い思いしながら生きてるんだろう。死にたいよ。死んで無になりたい。もう寂しさとか悲しみとか苦しみとかを感じたくないんだ。

私の中で希死念慮には2種類ある。

昨日のように悪魔君が出て来たときに現れる希死念慮と憂鬱でどうしょうもなく落ち込んだときに現れる希死念慮はあきらかにタイプが違う。

前者は苦しいから、悲しいから、辛いから、などの理由から死にたいわけじゃない。自殺をどこかイベント事のように考えていて、単純に過去2度未遂で終わらせてるから今度こそは成功させないと、という考えしかない。だからやり残した宿題をやる感覚に近い。私はあの時死んだはずなのに誤算が生じて助かってしまった→今度はもっと綿密に計画を立てて完璧にやり遂げようと。

そこに気持ちの落ち込みは全く無くむしろ自分が自殺に至るまでの過程を楽しんでいる。向精神薬の致死量を熟知し、実際に危険な薬を高額を出してまでも買い、練炭自殺の方法も調べ、いかに完璧に自殺を成功させるかについてのレポート作成までも行ってしまう。妙にエネルギッシュで行動的、頭も冴え渡りテンションも高めである。だから表現としては同じ「死にたい」でもその意味は「自殺を成功させたい」なのかもしれない。

一方、後者は悲しくて、寂しくて、苦しくて、どうしようもなく辛い、だから死んで楽になりたい、の「死にたい」である。一般的に万人に理解されるのはこっちだろう。この「死にたい」なら親も理解できると言う。

頭の中が悲しみ、孤独感、絶望感でいっぱいになり、涙は止まらないし、心が苦しくてどうしようもない、もうこんな辛いのは耐えられない、だから死にたい、死んで楽になりたい、と。でもその意味は「死にたい」というより「もっと楽に生きたい」の方が強い気がする。何故ならこの時の私は前者で述べたような行動を起こさないから。とにかく自殺を楽しむ感覚は無く、あるのは悲しみ、寂しさ、絶望感などマイナスの感情。だから気分は落ち込むし、涙は止まらないし、とにかく苦しい。だから頓服を飲む。なんとかこの辛さを緩和しようとするわけだ。要するに「死にたい」=「死にたいほど辛いから何とかしてくれ」っていう心の叫びなわけで。だから実際に行動に移さない場合が多い。というよりエネルギー不足で移せないのかも。

だから今日感じた「死にたい」は後者に当てはまる。

でも私に関してどちらにも言えることがある。それは死への恐怖が欠けてるってこと。これって未遂の後遺症か?と思うくらいとにかく死の恐怖を感じれない。だから自殺に抵抗を感じない。死ぬエネルギーさえあれば死ねちゃうのだ。それが悪魔君の企むものであろうが人間的な絶望感によるものであろうが。
普通の人は死への恐怖を持ってるからギリギリの所で思いとどまる可能性は高い。でも私にはそれが無い。親もそれがわかってるから私の希死念慮を問題視する。病院でなんとかしてもらおうとする。

私的には悪魔君が抱く希死念慮を病院で何とかしてもらおうとは思ってない。何故なら辛くて死にたい訳じゃないし、むしろ自殺=快楽って思ってるから。
でも絶望感から来る希死念慮は何とかしてもらいたい。何故なら苦しくて辛いから。

要するに辛くて苦しいのが嫌な訳で、ほんとは自分が死にたいのか生きたいのかはよくわからない。
ただ自殺をイベントと考えてる私がいる限り自殺企図は減らない気がする。
「苦しい辛いから死にたい」だけなら単純でいんだろうけどな。
私の自殺企図も摂食障害と同じように心の成長とともにその数を減らして行くものだといいのにな・・・。

どうしても使ってしまう「死にたい」って言葉。だけどそこに隠されてる意味は毎回違う。日本語って難しいな。

悪魔君登場

2006年4月20日 日常
20日の日記:

今日は甲状腺外来の再診日で14:00に病院へ。

いつも2時間くらい待たされるからいったん病院を出て近くのショッピングモールで洋服を選んだりしながら時間をつぶした。

買い物は元々好きだから気分は上々\(゜∀゜)/

16:00過ぎ病院へ戻ってみると先生は会議中との事。
結局さらに1時間待って17:30診察終了。甲状腺の方は現状維持ってことで前回と同じチラーヂンが処方された。

そのまま夕飯の買い物へ向かう途中、気持ちに変化が起きた。
でもいつもの孤独感とか寂しさじゃなくてテンションはどっちかっていうと少し高めで攻撃的・・・自信過剰で強気な私、そう悪魔君の登場だった。

悪魔君はとにかく攻撃的で口が悪い。
車の中、母との会話もとにかく私が一方的に批判的なことを言い続けてたと思う。

19時帰宅。と同時に夕飯時のカショオへ。
悪魔君は帰宅後、カショオの最中もずっと居た。
おかげでカショオに勢いがあるというか、食べる量もスピードもアップしちゃってキッチンとトイレを行ったり来たりと妙に落ち着かなくて、親にはまるで反抗期の子供みたいな態度とっちゃうし、とにかくしばらくの間イライラが続いた。

それを察してか21時頃キッチンに父が来てカショオ中の私に話しかけてきた。

結局その後2時間近く、私は過食を続けながら今悪魔君が出てきてること、だからカショオが激しくなってること、自殺企図のこと、最近は強迫観念が強く出て困ってることなど普段父とはあまり話せないことをたくさん話した。

その2時間の間にいつのまにか悪魔君からいつもの弱虫の私に戻っていた。
だから会話の最初と最後はまったく逆のことを言ってたみたい(^^;

なんで今日悪魔君が出てきたのかわからないけど悪魔君が出て来る時はいつもテンション高めだから気分的には悪くない(´∀`*)ただ何故か自殺企図も強く出てくるんで両親は悪魔君が出てくるとちょっと怖いみたい・・・。でも鬱で落ちてる私も辛くて見てられないって言うからどっちがいんだか。もぅ中間があればいいのに!

あっでもいま日記を書いてる私は中間ぽいな(´・ω・`)

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